言葉にしておきたかったのです。
- こんにちは、ろっきーです。
ちょっと、今日は僕の独り言になりますので、ご了承くださいね。言葉というか、気持ちをしっかりと記しておきたかったのです。
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素直にうれしいという気持ち、そして、負けてらんないな、という気持ちが自分のなかの半分以上を占めていたけれど、それでもちょっとだけ、自分が情けなくも思えてしまう。
まだ、終わらない。まだ、やらなきゃいけないこともたくさんある。
もともと、自分のペースを作るのが苦手で、誰かに「合わせる」ことが自分の能力であるとも思ってきた。そして、それをサポートしたり、盛り上げたりするのが自分の役目だと思っていた。
日の目を見るのではなく、誰かに日の目を見せたい。自分が率いるのではなく、率いる人の支えになりたい、と。
それはそれでありだと、今でも思っています。当然、そういった生き方が自分にもあっているのかもしれない、とも。
それも本当は言い訳でして、結局は自分がまだまだ半人前だったということになります。
いやー、自分の醜い部分がここで現れてしまうとは。成長しなければならないことはまだまだたくさんありますね。人生まるまる成長し続けても、自分の理想には程遠い。
頑張ろう。
そして、友人は大切です。
支えではなく、突き放してもくれるからこそ、本当の言葉もかけてくれるからこそ。
そして、僕に本当のことを言ってくれること。
最高ですね。自分という存在を証明するのはなにかなーと哲学みたいな中二病みたいなことを考えた時期もありましたが、それは間違いなく友人の存在なのでしょう。
背中を押された。
こんなとこで時間食ってる場合じゃないぞ!
生半可な覚悟で生きてるんじゃないぞ!
まだまだ、やりたいこといっぱいあるんだろう?
自分を奮い立たせて、もう少し、もう少しだけ、無理をしてみようと思います。
精神的にもかなり疲れてるだろうし(自覚はないんだけども、、、)、やっぱり少し体はだるい。何より太った!こんちくしょう!
今まで友達にずっと「無理すんなよ」と声をかけてきた自分は、優しさだとか気遣いの前に、自分が無理しなくてもいいための予防線をはっていたのかもしれない。
「無理すんなよ」は大切な言葉。でも、それは今じゃない。今の自分には、「今こそ、無理しどきだろう!?」と叫ぶ。
自分に正直に生きる。中学時代、何度も決断を迫られたとき、自分自身にそう誓ったんじゃなかったか。それに気付けたんじゃなかったか。
納得するまで、やり続ける。高校時代の部活のなかで、それは培ったんじゃなかったか。それで、全国の頂点まで上り詰めたんじゃなかったか。
考えて、論点を洗い出す。大学の研究を通じて、ずっと自分に課してきた課題じゃなかったか。目標じゃなかったか。
今、何ができる?
今、何に気付く?
自分で書いた言葉のなかに、
「今、きっと変わるために、今まで変わらずにきたんだ」
とある。
過去の自分に殴られた気分だ。
やりきれ!自分。
Rocky